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学び2.0でいこう! –第7回 板書はきちんと?

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こんにちは。また間をあけてしまい、連載が月刊誌ペースになっているhokutoです。

僕の授業を受けた学習者に(特にコースの序盤で)よく言われるのが「先生、もっときちんと板書してよ」という言葉。教師としてはきちんとやっているつもりなのに、学習者にはそう映らない。では何が「きちんとしていない」と感じさせるのか。今回はそんな話です。

ノートが命!

「先生、もっとノートに取りやすいように整理して板書してください。どこが重要かわかりにくいし、試験のときに困るんです」。授業が終わったあと、学生からそう言われたことがあります。教育実習生として高校の国語を教えた時のことです。僕は、他の国語教師がやるように端から美しい字で整然と板書をする、ということをしませんでした。黒板のあちらこちらにキーワードのみ書く、という僕の板書の仕方は、学習者にとっては慣れないものであり、ひどくノートを取りづらいものだったのでしょう。

「黒板を転写する」という形容がピッタリなノートの取り方をしている学習者は、真面目に勉強しているとされる学生ほど多い気がします。ノートを後から見て何が重要かわからないのでは困る・・・って、わからないのはあなたのノートの取り方が悪いんでしょ?と僕としては思うわけですが、教師が書く黒板が情報として整理され完結していないとダメ、というのが学生の言い分。要するに試験に出るように書け!ってことなんでしょう。

居眠りしてたけどハッと目が覚めて、まぶた半開きで黒板を必死にノートに書き留める学生の姿って、みなさんも目にしたことあるでしょう?あるいは自分自身もそうしてた経験があるんじゃないでしょうか。黒板をノートに転写するのが授業でいちばん大事なことなんです。きっと教師の話を聞いて内容を理解することよりも。

ノートを取るトレーニング

「話を聞いてノートを取る」というのは実は難しい作業です。まず内容を理解し、メモすべき重要な箇所を判断して、最適な形でアウトプットするのですからね。新入社員の頃、必要なことをちゃんとメモすることに苦労した経験はありませんか?また、英語とか母語以外の言葉で聞いてメモするというタスクをやってみると、その難しさを実感できるかもしれません。いろんな能力が必要なんですよね。

ノートの取り方の授業を受けた経験がある人もいるんじゃないでしょうか。*行*マスのノートを使いましょうとか、ここは青い二重線を引きましょうとかね。また、配られたプリントの空欄を埋めていくタイプの授業は、学習者のノートを取ることの負荷を下げる狙いもあるのではないかと思います。

ノートを取るスキルをきちんと認識しトレーニングでそれを養う、という姿勢は僕も賛成ではありますが、トレーニングからいつまでも脱却できなくて、それが授業の固定化したスタイルになってしまっている節もあると思うんですよね。「黒板は整理して書かれているべきだ」とか「プリントを使って分かりやすく授業をしろ」とか、学生からそんな要望が出て、それをしない教師は「ちゃんとしていない」ということになってしまう。もちろん教師は最大限わかりやすい授業を工夫する必要がありますけど、学習者は転写や穴埋めだけすればいいのか。それは学んでいることになるのか?と思うわけです。

現実は厳しい

至れり尽くせりの環境で何かを学ぶという体験は、学校を出てからではなかなか難しいように思います。ノートを取ること、後で活用できるようにメモを取ること、はスキルとして習得しておきたいもの。そして能動的な姿勢、例えば学び取ろう、理解しようという姿勢も不可欠だったりしますよね。

でも学校現場では、ノートを取る・メモするというスキルを学習者が身に付けていないから、結果プリントや整理された板書を使わざるをえない、という現実もあります。そうしないと学習者が授業についていけないと思われるからです。学習者が授業を、学ぶ姿勢を放棄してしまっては仕方がありません。

高校の教育実習での僕の板書スタイルは、確信犯的にやったことでもありました。学生がどんな反応を見せるかを知りたかったし、整えられた情報をただ受けとるのではダメだよというメッセージを込めたつもりでもありました。いま僕が講師をしている専門学校でも、やはり同じような反応が起こります。授業が成立しなくなっても仕方がないので、学習者の現状に歩み寄るとか、授業の中でトレーニングっぽいことをするとか、いろいろ考えていますが、なかなか難しいですね。

能動的に学ぶということ

今回、ノートを取る・メモをするという行為を取り上げたのは、学習者が能動的に学ぶ、学ぼうとする要素の1つとなると僕が考えているからです。逆に言えば、学校教育で経験してきた学びのスタイルは、学習者が多分に受け身的であり、学び全体からすれば一面的なものであるとも思うのです。ということで次回以降は、学習者の学びのスタイルを掘り下げて考えていきます。


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